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ケリス・ウィン・エヴァンス展 「L>espace)(...」


ケリス・ウィン・エヴァンス


光と音を空間に刻む、ケリス・ウィン・エヴァンス

壁三面には巨大な窓。蒼穹を仰げば強烈な陽射しに目が眩む。場所はビルの7階。周辺環境の光の影響をもろに受けるエスパス・ルイ・ヴィトン東京の空間は、ギャラリーには向いていないのかもしれない。 「L>espace)(...」の作品全5点のうち4点は頭上を見上げるように展示され、陽光と重なり凝視することさえ難しい。


ケリス・ウィン・エヴァンスの作品を鑑賞する上で、これほどふさわしい場所はない。展示作品はこの会場のために制作されたものではないので、本人は意図しなかったのかもしれない。彼の過去の展覧会を振り返っても、多くの場合はいわゆるホワイト・キューブや光をコントロールした暗がりにおいて作品を見せてきた。それでも、言語をモチーフにさまざまな素材を用いてシンプルな造形としてヴィジュアライズするその作品群は、今回のように自然環境によって視覚が遮られることにより、鑑賞者の感覚が研ぎ澄まされ、より言語本来の意味を発するようになる。アンディ・ウォーホルは、かつて「あまりに物事を見つめすぎると、その意味が全く見えなくなることを私は恐れる」と語った。言語は紙に記すことで文字として定着し、書き手の意思をこえて独自の意味や法則を強いるようになる。ウィン・エヴァンスは、言語を二次元ではなく光を使って立体化することにより、言葉を初期衝動のままの姿で解放して空間に漂わせ、言霊本来の力を保とうとしている。


会場に入るとすぐ目に飛び込むのは、ともに横幅4メートル弱のネオン管で制作された《...in which something happens all over again for the very first time》と《Sentiment》の2作品。これはまさしく文字そのものが作品である。前者のタイトルが伝えるのはまさしく一度力を失った言霊の復活を暗示しているようではないか。彼の作品はどれも洗練され非常にモダンな印象を与える。作品制作風景をみても、現場はアトリエというよりは未来の工場のようであり、それ自体が作品のようでもある。しかしながら、表現自体は非常にアナログな手法を用いてもいる。この2作品もLED全盛の時代に技術的制約が多いネオン管である。気体の反応により繊細な光を放つネオンが必要だったのだろう。メッセージをはっきりと読ませたいのなら昼光でも視認性に優れデザイン的自由度も高いLEDを使えばよい。つまり文字の意味を脳裏に刻み込むことが目的ではないのだ。強い陽射しがネオン管に遮られてできた床面の影がそれを物語る。言葉を発する時の動機やヴァイブレーションをイメージに変換して鑑賞者に届け、それぞれのフィルターをとおして再構築させることをウィン・エヴァンスは狙っているのだろう。スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールは、言語構造を三段階に分け、人間の持つ民族を超えた普遍的な言語能力や抽象化能力を「ランガージュ(language)」、各地域や民族それぞれの言語を「ラング(langue)」、私たちが普段使う話し言葉を「パロール(parole)」とした。ウィン・エヴァンスの母語は、ウェールズ語である。ケルト民族の伝統を継ぐこの言葉は、特にランガージュとラングの間を自由に漂う時間を超越した言語である。こうして言葉本来の力を体感する機会の多かった彼は、世界の共通語のひとつであり、彼が日常使う英語を立体化することにより、どの言語話者でも共有できるランガージュを顕現させる行為として芸術活動をしているのではないだろうか。


英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アートのフィルム&テレビジョン専攻で修士号を取得後、ウィン・エヴァンスは耽美的な作風で知られる映画監督デレク・ジャーマンのもとで2年間アシスタントを務めている。ジャーマンは、映画という視覚的でストーリー性の高い媒体を利用しながら、物語や視覚を超えた美そのものが伝える根源的な世界を表現してきた。この強烈な個性を放つ映画監督の影響を受けないはずがない。ウィン・エヴァンスの手法はどこかデレク・ジャーマンに近い。ともに光と音を操る二人の作品からは、眼前の現象の向こう側に存在する人類共通の無意識的世界を感じさせる。


二つのネオン管の横には不規則に点灯するシャンデリアが天井から吊り下げられている。《”Lettre à Hermann Scherchen" from 'Gravesaner Blätter 6' from lannis Xenakis to Hermann Scherchen (1956)》と名付けられたこの作品は、シャンデリアとその横に設置されたコンピュータ・モニターから構成されている。不規則な光の瞬きの理由は、モニター上に表示された現代音楽の作曲家であり建築家でもあるヤニス・クセナキスが1956年に指揮者であるヘルマン・シェルヘンに宛てた手紙の内容をモールス信号で発信しているためだ。ここでもモールス信号という前時代的なコミュニケーション方法を光の明滅に変換して用いている。手紙の中でクセナキスは、政治や飛行機やテレビなどの最新の思考は線的であると批判し、これからの音楽は「この世代の生命体や思考形態の膨大な獲得の中で生まれなければならない」と主張する。ウィン・エヴァンスが最新技術にこだわらず、アナログかつ前時代的な手法を併用するのは、時代を俯瞰的に捉えていることが原因なのだろう。「思考は線的ではない。根本的に大局的で、規模を伴うのだ」とモールス信号は語る。


シャンデリアの奥にある2メートル以上の大きな赤松の盆栽は、最初は作品ではなく、ただギャラリーを飾るディスプレイなのかと思った。しかし、これは《Still life (In course of arrangement…) II》という作品だった。そして、この作品だけは天井に設置するのではなく床に置かれていた。これはきっと大地、もしくは地球を意識したためだろう。さらに近づいてみると巨大な盆栽はターンテーブルの上でかすかに動いている。わざわざ“still life”と名付けた作品を見せ物のように回転させているのだ。解説によるとこれは詩人としても高い才能を発揮したベルギーの芸術家マルセル・ブロータースの《Un Jardin d’Hiver》へのオマージュだという。「冬の庭」という意味のオリジナル版では、複数のヤシの木と映像作品を並べて植民地主義の上に成り立つ欧州の芸術界を批判的にあらわした。ウィン・エヴァンスも植物を使いシリーズとしてこの作品を発表しているが、これまでは植物と絵画や強烈な照明等、何かプラスアルファがあったが、今回の作品では回る盆栽だけである。芸術家の意図を探るヒントは少ないが、ここは日本屈指の目抜き通りであり、盆栽は「静」の中に表現された躍動的な大自然を象徴する日本を代表する美である。これをあえて見せ物のように回すということは、ブロータースがおこなったように形骸化した日本芸術界への批判を感じざるを得ない。


会場の一番奥に展示されているのは《A=F=O=A=T》。天井から20本の長さの違うチューブにつながられたガラス製のパイプ(フルートを意図しているらしい)が広がるように配置され、それぞれのパイプに送られた空気によって音を発している。作品自体はシャンデリアのようにも見えるが、私には言葉本来の意味を忘れた人類のためにつくられた人工声帯のように見えた。この作品の真下にいるとまるで手術台であらゆるパイプでつながれ横になる重症患者のような気分にもなる。タイトルの意味は「浮かんで」という形容詞だが、各文字を「=」で区切っていることから、単語そのままの意味を伝えようとしていないことは明らかである。この空間に漂うもの、あるいは地面から切り離され天へと向かう途上の魂等、さまざまな意味が想像できる。きっと文字が紙に定着する以前のように、声や音によって空間に浮遊する言霊をおろそうとしたのではないだろうか。《A=F=O=A=T》は、所有者であるフォンダシオン・ルイ・ヴィトンのために制作されたものであり、視覚だけではなく、音でフォンダシオンの建物を表現しているのだという。つまりこれはフォンダシオンのために用意された教会におけるパイプオルガンのような楽器であり、表現は音によって完成する。


イサム・ノグチは、光と影を含む空間全体を彼の彫刻だと考えた。その点においては、ウィン・エヴァンスと共通する。ノグチは彫刻からスタートし、その拡張概念として光と影へと広がり、庭園や建築物に行き着いた。しかし、ウィン・エヴァンスは違う。スタートは映像であり、最初から光と音を顔料がわりに使用していたのだ。そこからスクリーンやモニターという平面から飛び出すように、立体作品へと変化した。そして、どんなテクノロジーを使おうが、最終的には古代から存在する光と音に変換して鑑賞者に届けられる。彼は木や石を彫るのではなく、光や音を彫刻する。これは、通常の彫刻家や映像作家、音楽家には真似ができない。われわれが眼にする物体だけではなく、周囲の空間、もしくは天から降り注ぐ太陽光さえも彼の作品の一部となり、それは川の流れのように常に変化している。だからこそ自然と人工物が混じり合うエスパス・ルイ・ヴィトン東京は、彼のために用意された空間のように感じられたのだ。

ケリス・ウィン・エヴァンス展 「L>espace)(...」
会期:2023年7月20~2024年1月8日
会場:エスパス ルイ・ヴィトン東京

(2024年1月5日)




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Cerith Wyn Evans | "....the Illuminating Gas" | Making of

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