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ソウル&ファンク大辞典

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Mulatu Astatke / MULATU OF ETHIOPIA

行く先々の国の音を吸収したエチオピアの巨匠

ムラトゥ・アスタトゥケ Mulatu of Ethiopia,
Mulatu Astatke, 1972
音階が近いせいか、なぜか日本人には郷愁を感じるエチオピアの音楽。ムラトゥ・アスタトゥケの『ムラトゥ・オブ・エチオピア』では、郷愁だけではなく、夢見心地で殺してくれそうな毒も盛られており、このゆる〜いビートは中毒性が高い。彼の代名詞でもある『エチオ・ジャズ』とは、エチオピアの音楽と、ジャズ、ラテン、レゲエ、ファンク等が絶妙の配合でミックスされたもので、世界の音楽史的にも非常に興味深いチャンプルー・ミュージック。

ムラトゥ・アスタトゥケの家族は、エンジニアリングを学ばせるために、エチオピアからウェールズに彼を留学させたというから、かなりのお金持ちの家出身のはず。しかし、お金持ちの息子にありがちなように、「親の心子知らず」なムラトゥの興味は別のところにあったようで、ロンドンの大学では音楽を学んでいる。その後、米国に渡り、アフリカ人として初めてバークリーへの留学を果たしたというから、単なるその辺のボンボンとは違い、中身は伴っていたようだ。

米国でまず影響を受けたのがラテン・ジャズ。この頃、ラテンの影響をもろに受けたアルバムも発表している。同時にエチオピア音楽の素晴らしさも再発見し、両国のミュージシャンとの交流を深めていき、徐々に『エチオ・ジャズ』は熟成していく。

そして1972年に誕生したのがエチオ・ジャズの集大成ともいえる本作『ムラトゥ・オブ・エチオピア』。彼が演奏するヴィブラフォンやホーンセクションは、どこか演歌や歌謡曲のようにも聞こえるが、基本はアメリカのジャズが最も元気だった頃の音。そこにファンキーなギターのカッティングや、ディープなオルガンの音が加わりソウル感を増す。

第一印象は色物のようにも映るが、間違いなく本物。ジム・ジャームッシュが『ブロークン・フラワーズ』にムラトゥ・アスタトゥケを使ったのも理解できる。

1972年



Mulatu - Mulatu Astatke
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