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ソウル&ファンク大辞典

ソウル・クラシックスの大辞典を構築中! スマホ対応なので出先でもどうぞ。

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Ray Charles

ソウルの時代到来を予見させた「ジョージア・オン・マイ・マインド」

レイチャールズ The Genius Hits The
Road,Ray Charles,
1960
幼い時に視力を失ったレイ・チャールズ。生きるため学んだピアノだったが、音楽の世界にのめり込むことで、歴史を変えるほどの偉大なアーティストになることができた。

レイ・チャールズは、ソウルミュージックのかけらもまだない1930年にジョージア州で生まれた。彼の偉大な点は、ゴスペルやジャズ、ブルース、カントリー、R&Bを自分の耳で消化して、ソウルの原型を築いたことにある。

このソウルの原型を代表する歌が“Georgia On My Mind(我が心のジョージア)”だ。この曲はレイ・チャールズが書いたわけではない。彼が生まれた年に作曲され、1931年にFrankie Trumbauer Orchestra(フランキー・トラムバウアー・オーケストラ)のバージョンがヒット、ジャズのスタンダードとして普及した。その後も、ルイ・アームストロング、グレン・ミラー、ビリー・ホリデー、エラ・フィッツジェラルド等の大物たちがカバーしたが、どれもジャズの範疇を超えるものではなかった。

ところが常識にとらわれず、見事なアレンジで成功したのが、レイ・チャールズの「ジョージア・オン・マイ・マインド」だった。ジャズのテイストを残しつつも、他の誰よりもブルージーに歌う彼のバージョンは1960年のビルボードで1位を獲得、誰もがこの歌はレイ・チャールズの曲だと思うほどに浸透した。

「ジョージア・オン・マイ・マインド」がヒットした翌年、レイ・チャールズは、生まれ故郷ジョージア州での凱旋公演を直前にキャンセルしている。当日のコンサートは、人種ごとに隔離して、白人優遇で開催されることを、地元の大学生に知らされたためだった(当時はまだ人種差別を禁止する公民権法成立前だった)。ジョージア州はこのボイコットに激怒し、レイ・チャールズに対して生涯故郷に帰ることを禁じた(後に両者和解し、「ジョージア・オン・マイ・マインド」は1979年に州歌にも認定された)。

ヴォーカリストとして卓越した技術を得たレイ・チャールズは、以後ジャンルを超えた存在となり、彼が歌えばどんな曲でも、それがソウルやR&Bの新たな名曲となった。





Ray Charles & w/Aretha Franklin - Georgia On My Mind & It Takes Two to Tango
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