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ソウル&ファンク大辞典

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Vee-Jay Records

1960年前後に隆盛を極めたシカゴのブラックレーベル

Vee-Jay Goodnite, Sweetheart, Goodnite,
Spaniels, 1954
Vee-Jay Records(ヴィージェイ・レコード)は、かつてシカゴで最も成功したレコード・レーベルであり、60年代になってモータウンが出現するまで黒人オーナーのレーベルとしては最大規模を誇った。

その歴史は1953年にJimmy Bracken(ジミー・ブラッケン)とVivian Carter(ヴィヴィアン・カーター)夫妻によって始まった。レーベル名はふたりの名前の頭文字、VとJからきている。

1948年、ヴィヴィアンはインディアナ州のラジオ局WGESのDJコンテストに応募、そして合格。これをきっかけにいくつかの局でDJとして働いた。ジミーは1952年頃、レコード店Vivian's Record Shopを開店。せっせとお金を貯めて、二人でレコード・レーベルをスタートさせることを決意した。丁度その頃、ふたりのミュージシャンからレコーディングができないかとの申し入れがあった。ひとつはヴォーカル・グループのSpaniels(スパニエルズ)、もう一人はブルース・シンガーのJimmy Reed(ジミー・リード)。こうして、50年代のヴィージェイの2大スターが誕生することとなった。2大スターの最初のレコーディングは1953年暮れから1954年にかけて行われた。この2枚は地元でかなりのヒットを収め、スタートしたばかりのレーベルの経営基盤を強固にした。1954年、スパニエルズのサード・シングル“Goodnight Sweetheart, Goodnight”はR&Bチャートでブレイク、McGuire Sistersにカバーされミリオン・ヒットを記録した。この年、ヴィージェイは拠点をシカゴに移した。

1955年頃にはヴィージェイのハウス・バンドも誕生した。そして1961年に社長に就任したヴィヴィアンの兄のCalvin Carter(カルヴィン・カーター)は、ヴィージェイの音楽性を決定するほどの優秀なプロデューサーでもあり、音楽的な部分と大衆が求めるものの融合点について非常に鼻が利いた。

60年代になると時代はソウル・ミュージックに注目し、ヴィージェイにとってもいい方向に向かいだした。他のブラック・レーベルがローカルな活動を中心としていたのに対し、ヴィージェイは全米を対象とした活動を続けた。カルヴィンは頻繁にニューヨークを訪れ、ソウル・ミュージックのソングライターを発掘しては、シカゴに連れ帰り、Jerry Butler(ジェリー・バトラー)、Betty Everett(ベティ エベレット)、Dee Clark(ディー・クラーク)らのヒットにつなげた。

同レーベルの初のミリオンセラーは1962年Gene Chandler(ジーン・チャンドラー)の“Duke Of Earl”だった。この年にはR&RグループのFour Seasons(フォー・シーズンズ)を発掘、彼らは自作の曲を自身で演奏しプロデュースまでし、大ヒット曲“Sherry”や“Big Girls Don't Cry”、“Walk Like A Man”をリリースした。

こうしてレコードセールス的には全く問題のなかったヴィージェイではあるが、1963年ブラッケン夫妻がEwart Abner(当時の社長)を追い出したのをきっかけに、相次ぐ訴訟問題や経営陣交代、そしてこうした問題に嫌気がさしたのかレーベルのスター、ジーン・チャンドラーとディー・クラークがレーベルを去ったこともダメージとなり、1966年倒産に至った。



The Shoop Shoop Song - Betty Everett
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