ヒップホップを経験した時代からみた、永遠に完成しないソウル&ファンクの大辞典。
アダム&ジ・アンツのマネージャーを務めていたマルコムは、パートナーであるヴィヴィアン・ウエストウッドの衣装をまとわせ、アフリカのブルンジのビートを取り入れた独自のサウンド構築を目指す。しかし、アダム・アントに将来はないと見切ったマルコムは、アダム&ジ・アンツの顔であるアンツの部分を切り離し、より激しいブルンジ・ビートを導入した新バンドを結成する。このバンドこそ当時14歳の少女アナベラをヴォーカリストに据えて成功するBow Wow Wow(バウ・ワウ・ワウ)だった。
裏切られたアダム・アントは、二人のドラマーを含む新生アダム&ジ・アンツをすぐに結成。こうしてマルコム・マクラーレンの息がかかったふたつのバンドは、ともにアフロ・ビートを売りにする人気バンドとなった。
“Kings of the Wild Frontier(邦題:アダムの王国)”は、アダム&ジ・アンツにとって出世作となったセカンド・アルバム(日本にとっては、このアルバムがほぼデビュー作のようなもの)。アフロといっても、70年代にアフリカ系米国人が自らの原点回帰としてジャズやファンクに取り入れたものや、フェラ・クティのようなビートとは全く違い、彼らの場合は、あくまでもファッションとして。シリアスさはないが、適度な刺激とポップミュージックとしての完成度が魅力。アダム&ジ・アンツとバウ・ワウ・ワウが成功したからこそ、アフロビートが子供にまで愛されるようになったのは事実である(そしてマルコム・マクラーレンは、まさしくそこを狙っていたと後日談で語っている。本当かどうかは確認のしようもないが…)。
Producer: Chris Hughes
1980年