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ソウル&ファンク大辞典

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Lee Dorsey

セカンドライン・ファンクをポップにこなした伊達男

Lee Dorsey Get Out of My Life, Woman
Lee Dorsey, 1965
いとおしくなるほど哀愁漂うミスター・ノベルティ・ソング、リー・ドーシー。生まれは1926年12月24日ニューオーリンズ。50年代はボクサーとして活躍。リングネームはキッド・チョコレート(これまたノベルティー的!)。

ミュージシャンとしてのデビューは1958年のシングル“Lottie Mo”。1961年、Fury(フューリー)からリリースしたAllen Toussaint(アラン・トゥーサン)プロデュースによる“Ya Ya”が全米7位の大ヒット。翌年“Do Re Mi”も大ヒット。フューリー・レコードが消滅したため、しばらく活動休止状態になったが、Constellation(コンステレイション)を経て、Amy(エイミー)に移籍、1965年“Ride Your Pony”でカムバック。この曲でもアラン・トゥーサンがプロデュースをし、バックはMeters(ミーターズ)が務めた。このトライアングルが、彼を単なるノベルティ・ソングの歌い手から、アーティストへと変貌させる。このエイミー時代のシングルは英国でも支持され、彼の黄金時代となり、“Get Out of My Life, Woman”、“Working in a Coal Mine”等数多くのヒット曲を放った。

1966年の“Holy Cow”以降はあまりチャートに顔を出すことがなくなり、1970年のアルバム“Yes We Can”を最後に、彼は隠居生活に入いることを決断した。しかし、世間は放っておかなかった。1980年には、英国のパンクバンド、Clash(クラッシュ)が自らのツアーに彼を引っ張り出し(彼らはリー・ドーシーの熱狂的ファンだった)、ライブを再開することになるが、その8年後に病気で亡くなっている。

全盛期は60年代だが、1970年の“Yes We Can”や、1978年の“Night People”も、作品的には味わい深いものがある。

ミュージシャンとしてのキャリアが長い割には、アルバムの数が少ないが、その影響力は絶大なものがある。昔からニューオーリンズにあった楽天的な雰囲気と芳醇なリズムを、彼以上にポップに表現できた人はほとんどいない。またアフリカ系だけではなく、前述のクラッシュや、The Band(ザ・バンド)、Robert Palmer(ロバート・パーマー)、Little Feat(リトル・フィート)等、多くの白人にも愛され、軽いノリには釣り合わないほどのリスペクトを受けている。





Get Out of My Life, Woman - Lee Dorsey
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