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ソウル&ファンク大辞典

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Fame Records

マッスル・ショールズをサザンソウルの聖地にしたスタジオ

フェイムスタジオ Neighbor, Neighbor,
Jimmy Hughes, 1966
メンフィスと並ぶサザンソウルの中心地マッスル・ショールズ。カントリーが強いナッシュビル近くのこの街にサザンソウルを持ち込んだのがRick Hall(リック・ホール)だった。

ホールも当初はナッシュビルのアーティスト達に曲を提供していたが、Sam Cooke(サム・クック)らの登場に刺激を受けていた彼は、ブラック・ミュージックへの思いがどんどん膨らんでいった。当時参画していた会社“Florence Alabama Music Enterprises”を解消したのをきっかけにマッスル・ショールズへと向かい、自身の事業の名前もその会社の頭文字から取りFAME(フェイム)とした。

栄光の「マッスル・ショールズ・サウンド」のスタートは貧相なものだった。たいした設備も無く、タバコ用の倉庫を借りるのが精一杯だった。しかしラッキーなことに、優れた才能を持つベルボーイとして働いていた青年に出会うことができた。こうして生まれたのがArthur Alexander(アーサー・アレクサンダー)の“You Better Move On(1961年、後にローリングストーンズがカバー)”のヒットであった。資金を得たリック・ホールはオンボロ倉庫を引き払い、スタジオ建設のために使った。この建物が、その後FAMEの本拠地として使われるようになった。

新スタジオでの初ヒット、Jimmy Hughes(ジミー・ヒューズ)の“Steal Away(1963年)”により、彼のR&Bプロデューサーとしての地位も固まり、今度は自分のイメージを現実化できる信頼のおけるスタジオ・ミュージシャンが必要となった。しかし、新スタジオやその機材のために資金を注ぎ込んでいたため、一流ミュージシャンを集めることができず、彼には自らが教師となり未完成のミュージシャンを育てる道しか残されていなかった。彼は何ヶ月もつきっきりでイメージを伝え、ミュージシャン側もホールのイメージを現実化するしか収入を得る方法が無いのがわかっていたので、必死に理解しようとした。

こうした努力が実ったのが、優秀なプロデューサーと強力なスタジオ・ミュージシャンにより完成した「マッスル・ショールズ・サウンド」であり、Aretha Franklin(アレサ・フランクリン)の2大ヒット“I Never Loved A Man”、“Do Right Woman, Do Right Man”や、Clarence Carter(クラレンス・カーター)の“Patches”、Wilson Pickett(ウィルソン・ピケット)の“Mustang Sally”、“Funky Broadway”、“The Land of 1000 Dances”等の歴史に残る作品の誕生となった。

特にアレサ・フランクリンは、あふれる才能がまだ開花していない時期に、プロデューサーのJerry Wexler(ジェリー・ウェクスラー)がフェイム・スタジオに連れて行き“I Never Loved a Man (the Way I Love You)”を録音したことにより、ソウルシンガーとしてのイメージを確立した。アレサの成功によって、ソウルの世界で成功したい女性シンガーたちが次々とマッスル・ショールズを訪れるようになった。

リック・ホールと契約でもめたジェリー・ウェクスラーが陰で糸を引き、フェイムのハウスバンド、Swampers(スワンパーズ)は独立し、マッスル・ショールズの音楽の聖地はふたつに分かれている。しかし、そこでも次々に魔法のようなサウンドは生まれ、ローリング・ストーンズも「ブラウン・シュガー」や「ワイルド・ホーセズ」等をレコーディングしている。

マッスル・ショールズ・サウンド誕生から、サザンロックへの流れは映画「黄金のメロディー マッスル・ショールズ」で詳しく語られている。





Mustang Sally - Wilson Pickett
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