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ソウル&ファンク大辞典

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Jerry Wexler

ソウル界随一の拝金主義者

Wilson Pickett In the Midnight Hour,
Wilson Pickett, 1965
ニューヨークのユダヤ系の家に生まれたJerry Wexler(ジェリー・ウェクスラー)。ソウルとは縁がなさそうな彼が、音楽界に足を踏み入れるきっかけは、ビルボード誌の記者になったことだった。記者時代のウェクスラーが、「リズム&ブルース」という言葉を生み出し、ビルボードのチャートにも使われるようになり、普及するようになった。

1953年、Atlantic Records(アトランティック・レコード)の共同経営者になり、音楽プロデューサーとしての活動が始まる。この時代にはRay Charles(レイ・チャールズ)やDrifters(ドリフターズ)を手がけ、アトランティックはブラックミュージックの一大レーベルになる。

1961年にはメンフィスのStax Records(スタックス)の配給権を獲得。Otis Redding(オーティス・レディング)を始めとするスタックスのアーティストの名が全米に知られるようになったのは、アトランティックの配給力による影響が大きい。また元Falcons(ファルコンズ)のWilson Pickett(ウィルソン・ピケット)等、アトランティックのスター達をメンフィスへ連れ行き、“In the Midnight Hour”等の大ヒットを数多く放った。

しかし、配給権は少しずつ改定され、密かにアトランティックが名作サザンソウルの宝庫であるスタックスのレコーディング・マスター権まで手に入れていた。そのためスタックスは経営に行き詰まり、一時低迷する。同時にアトランティックとスタックの関係も悪化し、ウェクスラーはスタックスのハウスバンドを使いにくい状況になっていった。

ジェリー・ウェクスラーのキャリアの頂点は、1967年に移籍してきたAretha Franklin(アレサ・フランクリン)を「クイーン・オブ・ソウル」に変身させた頃だろう。それまでポップス寄りの曲ばかり歌っていたアレサを、当時メンフィスと並び、ソウルの新聖地となっていたマッスル・ショールズで開花させ、名作“I Never Loved a Man the Way I Love You”を完成させた。

アレサ・フランクリンの成功をきっかけに、バックを務めたFame(フェイム)のスタジオミュージシャンであるMuscle Shoales Rhythm Section(マッスル・ショールズ・リズム・セクション、通称The Swampers)を気に入ったジェリー・ウェクスラーは、彼らを丸ごと引き抜き、独立させてしまう。その結果、フェイムは分裂し、この小さな町にふたつのソウルのメッカが存在するようになった。(この経緯は映画『黄金のメロディ、マッスルショールズ』に描かれている)

1975年にアトランティックを去った後も、ソウルの聖地の音を求めるボブ・ディランやジョージ・マイケルのレコーディングをマッスル・ショールズで行っている。(「ケアレス・ウィスパー」は、元々マッスル・ショールズで録音されたが、ジェリー・ウェクスラーのプロデュースに満足しなかったジョージ・マイケルは、セルフプロデュースで再録し、大ヒットにつながった)





In the Midnight Hour, Wilson Pickett
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