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ソウル&ファンク大辞典

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Curtom & Curtis Mayfield

70年代のカーティス・メイフィールド黄金期を飾ったシカゴのレーベル

カートム (Don't Worry) If There's A Hell
Below We're All Going To Go,
Curtis Mayfield, 1970
言わずと知れたCurtis Mayfield(カーティス・メイフィールド)所有のレーベル。創設は1968年、カーティスとEddie Thomas(エディ・トーマス)が共同でこの独立レーベルをシカゴで始めた。レーベル名はふたりの名前の“Curtis”と“Thomas”を合わせた造語。カーティスは、この前にもWindy C(ウィンディ・シー)やMayfield(メイフィールド)などのレーベルを興していたが、経営的にうまく行かず、再度奮起して始めたのがCurtom(カートム)である。

カートムが成功した理由は、何といってもカーティスの才能が開花したことが大きいが、もうひとつの理由としては、大手レーベルの配給網を活用したことがあげられる。創設時の配給はニューヨークの大手レーベル、Buddah Records(ブッダ・レコーズ)が担い、1975年からWarner Brothers(ワーナー・ブラザーズ)傘下に入った。さらに、創作活動に忙しいカーティスが、経営をMarv Stuart(マーヴ・スチュアート)に任せた点も見逃せない。当時、スチュアートはいくつかのバンドのマネージャーとしての経験しかなかったが、カーティスからレコードビジネスについて一から学び、1970年には、トーマスから会社の実質的な経営を引き継いだ。

カーティスの当初の肩書きはプロデューサー兼A&R(ミュージシャンの発掘や、プロデューサーの選択、スタジオの選択等を行う職種)だった。アレンジを担当していたのはJohnny Pate(ジョニー・ペイト)とまだ新人のDonny Hathaway(ダニー・ハサウェイ)。ペイトは1972年に会社を離れるが、その後Richard Tufo(リチャード・テューホ)が加わり、プロデューサーとしてLeroy Hutson(リロイ・ハトソン)、Lowrell Simon(ローレル・サイモン)、Ed Townsend(エド・タウンゼント)等が加わった。カートム所属のアーティストの多くは作曲をしなかったので、プロデューサーが作曲も担当することが多かった。

カーティス・メイフィールドのCurtomでの最初の作品はImpressions(インプレッションズ)のリード・シンガー兼プロデューサーとしてだった。カートム時代にインプレッションズは3枚のアルバムを残している。黒人としての誇りを込めた“This Is My Country(1968年)” からシングルカットされた“Fool for You”はビルボードのソウルチャート3位の大ヒットとなった。1969年には“Young Mods’ Forgotten Story” 、そして彼のインプレッションズとしての最後のアルバム“Check Out Your Mind(1970年)”からはソウルチャート1位の“Choice of Colors”の大ヒットがあった。カートム以前はバラードのイメージが強いインプレッションズだったが、この3枚でファンク色を強めていった。

1970年にカーティスはインプレッションズを脱退し、ソロとして初のアルバム“Curtis”をCurtomからリリースする。しかし当初は脱退するつもりはなかったという。当時のロックやソウルでは、シンガーソングライターが人気を集めつつあった。マーヴ・スチュアートも、カーティスが単なるヴォーカル・グループの一員ではなく、アーティスト性を発揮して活動することを望んでいた。そして彼の助言を受けて制作した“Curtis”は、アルバムアーティストとしてのカーティスの評価を確立するものになった

ソロになったカーティスには、これまでのアーティストとは違う独特の存在感があった。代名詞ともいえるかぼそいハイテナーヴォイスは、60年代のソウルシンガーに比べてパンチに欠けるともいえる。歌詞は字余りで、モータウンのようにだれでも口ずさめる歌でもない。それでも社会的なメッセージを含んだ彼のハードなサウンドに、人々は熱狂し、彼は70年代を代表するミュージシャンになっていった。シングルカットされた“(Don’t Worry) If There’s a Hell Below We’re All Going to Go”はソウルチャート3位の大ヒットとなった。

Curtom全盛期の1970年代のアメリカは、黒人運動の時代ともいえる。ソウルの世界では、それまで「愛」や「セックス」、「ダンス」が主なテーマだったが、「ゲットーの怒り」等、社会性の強いメッセージを込めるようになった。Marvin Gaye(マーヴィン・ゲイ)の“What’s Going On”や、Chi-lites(シャイライツ)の“(For God Sakes) Give More Power to the People”は時代の雰囲気をうまく取り入れたが、そのなかでも最も時代にフィットしていたのがカーティス・メイフィールドだといえる。

1971年にはライブアルバム“Curtis Live!”を発表。シンプルな楽器編成で、ニューヨークのクラブの熱気が伝わるようなサウンドは、カーティス自身も一番好きなアルバムにあげている。その年の終わりにもう一枚、“Roots”もリリースしている。

1972年の“Super Fly”ではサントラに挑戦した。70年代のブラックスプロイテーションの名作である『スーパー・フライ』には、カーティスもバンドメンバーとともに出演している。映画とともにサントラも大ヒットし、カーティスは白人のファンも多く獲得するようになった。

カーティスの最高傑作にあげる人も多い“Back to the World”は1973年に発表された。カーティス独特のファルセットボイスは、揺れ動く70年代の黒人社会を余すところなく表現している。

1974年には“Sweet Exorcist”からシングルカットされた“Kung Fu(ソウルチャート3位)”がヒット。同年には“Got to Find a Way”もリリースされ、これがBuddah Records配給の最後の作品となった。

Warner Brothers配給の最初の作品が“There’s No Place Like America Today(1975年)”だ。この作品では内省的な曲が増え、メローでありながら、緊張感溢れるサウンドが聴ける。“Superfly”のような作品を求めるファンには物足りないかもしれないが、当時よりも現在の方が評価されているアルバムといえる。

翌1976年には“Give Get Take and Have”、1977年にも“Never Say You Can’t Survive”を発表しているが、この頃のカーティスで特筆すべきはサウンドトラックに力を入れていたことだ。CURTOMも出資した映画“Short Eyes”では昔のカーティスを彷彿とさせる作品を提供しているが、映画のセールスには貢献できなかった。 演奏はしていないが、カーティスがプロデュースをしたサウンドトラックも多い。Gladys Knight and the Pipsの“Claudine(1974年)”と“Pipe Dreams(1976年)”、Staple Singersの“Let’s Do It Again(1975年)”、Aretha Franklinの“Sparkle(1976年)”、Mavis Staplesの“A Piece of the Action(1977年)”等がある。“Sparkle”は、映画のなかでは当時無名のIrene Cara等が歌っているが、サントラ版では売上げを配慮し、アレサ・フランクリンが歌った。

当時席巻していたディスコに挑戦したのが1978年の“Do It All Night”。これまでは音楽のトレンドを作ってきたカーティスだが、この時ばかりは商売のためにディスコをやったと告白している。それでも高いクオリティーを保っているのはさすがだ。

1979年には配給がRSOに変わった。ここでは“Heartbeat(1979年)”、“Something to Believe In(1980年)”、Linda Cliffordとのデュエット作“The Right Combination(1980年)”の3作を残した。これを最後にカーティス・メイフィールドはカートムの解散を決意した。

このレーベルの最も意義深いところは、アーティスト自身が経営と制作を兼ねていたことであり、James Brown(ジェームス・ブラウン)とともに、その先駆けとなった。

カートム
What's This I See by June Conquest, 1968
1968年の設立当初は黒いレーベルだった。





Curtis Mayfield live

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